近衛文麿の遺書

   僕は支那事変以来多くの政治上の過誤を犯した。之に対して深く責任を感じて居るが、いわゆる戦争犯罪人として米国の法廷に於て裁判を受ける事は堪え難い事である。殊に僕は支那事変に責任を感ずればこそ、此事変解決を最大の使命とした。そして、此解決の唯一の途は米国との諒解にありとの結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。その米国から今犯罪人として指名を受ける事は、誠に残念に思う。しかし、僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国に於てさえそこに多少の知己が在することを確信する。戦争に伴う興奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に基づく流言飛語と是等興論なるものも、いつか冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。是時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう。

  この文章が好きだ。本人の心持ちを察するとやるせないが。ここには絶望と苦悶の果てに至った静謐な矜恃がたたえられている。