走ることについて語るときに己の語ること

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  昨晩、ジムのトレッドミル(ローラーのうえをパタパタ走るやつ)での値。

  現在月の平均で、1kmを5分40秒台後半のペースで走っている。7-8kmだったらコンディションが悪くなければ5分半。5-6kmだったら5分15秒くらい。短時間のペースアップだったら4分後半をまぜてもきつくはない。

  ここ最近、年度末の忙しさで時間においても、気分的にも長く走ることができない。それで短めの距離ならばということで、ペースアップがひとつの目標になっている。

  フルを目指しているときは、そもそも長く走るわけだから無理のないペースでということで、6分ジャストを心掛けていた。その頃はそう長くない距離でもその付近のペースで走っていて、分相応だと思っていた。しかしここ最近、距離に応じて配分を変えて走るのも、大切だしまたやり甲斐のあるものだなと思っている次第。

  昨年の今頃のツイートをログで確認すると、走っている形跡はほぼ絶えつつあるみたいだ。今年はというと体重も増えていないし、かろうじて走る習慣は保てている。


  さてこれからが勝負。年度の前半の忙しさに紛れて、悪習慣が身につき、また使えない体になる、というのがいつものこと。ここからが問題だ。

  ひとつ心掛けようと思うのは、忙しいのは避けようがないので、その中でトレーニングに集中していた頃の値を求めないということ。負荷や頻度、あらゆる面で、その時の6割くらいで善しとしようと思っている。「かつては15km楽にながせたのに」「このウエイトも楽勝だったのに」は止める。そうした不必要に自らで煽る失敗の感覚が、鍛錬から身を遠ざける。

  再びシーズンが訪れるまで、しばらくは割り切ること。自分の怠惰さや、加齢を認めながら続けていかなければと思う日々なのであった。