コーヒー

お題「コーヒー」

 

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 自分にとって、コーヒーを日常的に飲むようになったのはそれほど昔ではない。少なくとも学生時代に繁く喫茶店に通っていたようなことはなかったし、就職してしばらくもコーヒーをよく飲んでいたような記憶はない。20代の終わり頃から常飲が始まり、やがて不必要に凝り、果てに今のスタイルに落ち着いて行った。

 自分でいれて飲むようになった始めの頃は確かスターバックスの豆を使っていた。それから雑誌のコーヒー特集などで神戸のグリーンズコーヒーロースターや、鹿児島のヴォアラを知り、それらの店の豆を試すなどするようになる。職場用にドリップバッグをまとめて注文していたこともあったっけ。

 あわせていれ方や器具にもこだわるようになる。プレスを使っていれていた時期もあった。しかしあれは基本的に、時間と心にゆとりがある人がとるスタイルだろうと思う。いれて4分程度待つこと、片付けがいくぶん煩雑なことを思えば、忙しない生活には向かない。

 お店もあちこち行くようになった。何軒か行って到達した結論は、自分にはいわゆるサードウェーブと括られるような、豆の本来の風味を存分に生かさんがために浅く煎ったような類のコーヒーはあまり合わないということだった。それを否定するというのではなく、単純に好みの問題として、である。熊本には第3の波どころか波が立つ以前から営まれているアローという喫茶店がある。そこもまた煎りは浅く、ある程度しっかりとローストされたような豆は、店主から「焦げくさい」と詰られる。若い頃どんな店か知らず一度だけ入ったことがあるが、ひどく居心地が悪かったのと、コーヒーを飲んだ気がしなかったのをよく覚えている。これが本来のコーヒーだ、と主張する店主とそれを受け入れる熱心なファンには申し訳ないが、あれは己にとってのコーヒーではない。

 もちろん慣れというのもあって、以前に比べれば中くらい~浅めの煎りのコーヒーも楽しめるようにはなってきた。しかしその時は、「さあそういうものをこれから飲むんだ」という構えがないと、時々物足りない思いをすることがある。

 自分に合うコーヒーは、例えばバリスタとかいう呼称や、外での研鑽などとは縁がないかもしれないが、自分の店で工夫を重ねながら丁寧にコーヒーをいれてきたような昔ながらの喫茶店で出される、「ストロング」などとメニューに記載されている類のコーヒーだろうと思う。あるいは然るべき資格や受賞歴はあっても、焙煎のヴァリエーションが柔軟かつ豊かで、ラテアートなんてものと無縁そうなお店で出されるコーヒー。・・・表現に多分に悪意がこもっているような感じもするが、まあ好き好きだから。

 あれこれ書きながら、結局のところ飲食については最終的にはプロに任せるというところがあって、プロ顔負けになる気もなければ、なれる気もしない。コーヒーについても同様である。慣れ親しんできた結果、いくつかの産地の特長みたいなものも頭には入ってきた。入れ方のコツも、豆の取り扱い方も少しはわかる。しかしそこまでである。例えば豆は、どこそこのでなければダメだ、とは思わない。カルディの基本ラインで充分すぎるくらいだ。豆は家でも挽けるが、面倒だから少量を挽いてもらうことが多い。いれる時はペーパードリップでいれる。ハリオのV60にフィルターをセットして、細口のケトルでゆっくりと蒸らしながらいれる。フィルターは先にほんの少し湯とおしして、油分が無駄にフィルターに吸い取られないようにする。これは以前行ったコーヒー店の兄ちゃんがやっていたのを真似ている。とまあ、ここまでだ。プレスを使うことはないだろうし、ネルドリップを衛生的に使い続ける自信はない。自分で豆を選り分けて、焙煎するなんてまさかそんなこともしない。自分の生活の丈にあった程度で満足している。

 ただし一方で、良い店と自宅の往還の中で、納得の行くマイ・ヴァージョンを目指すことを続けていくだろうとは思う。自分の生活を経済的、時間的に苦しめない程度の、持続可能な形での究極。それは料理や飲酒についてもそうだし、そのお伴となる音楽の聴取環境や家具調度についてもそうである。最高のもの、稀少なものはお店に任す。でも自分の中でひそかににっこりできるようなものは追求し続けたい。

 

 自分の中でのコーヒーは、およそそういった類のものの一つである。