個人的月曜断食まとめ① かなりよく出来ている仕組み

 2019年の10月に月曜断食を始めた。もとの体重が104~5kg。1ヶ月と少しで10kg痩せた。それからは停滞期と油断もあって減りはごくゆるやかで、2019年の終わりから2020年の初めにかけては、体重は92~3kgのあたりを行き来している。年末年始は何かと会食も多く、過食しがちな機会が絶えないが、大幅な体重増はなく何とか過ごしている。

 今回は実行して感じたことの中で、「月曜断食はかなりよく出来ている仕組み」であるということについて以下に記す。

 まず、間違いを伝えてはいけないので、基本的な考え方・やり方は以下のとおり。

 

www.lettuceclub.net

 

 このように提唱者のインタビューも交えた、準公式の情報もウェブにはたくさん掲載されている。ただししっかり取り組むのであれば、提唱者の書籍を手許においてやるのが一番間違いはないように思う。別に宣伝を頼まれたわけでもないけれど、一応以下。

 

月曜断食 「究極の健康法」でみるみる痩せる!

 

 さて、一連の流れについて、実際と所感を述べていくことにする。

 

① 月曜日の断食

 冒頭に書いたとおりのデブである私にとっては、これがとにかくつらく感じられた。月曜断食は既に実践している同僚から勧められたものだが、最初は断っていた。「だいたい食べるのが好きでこんななりなのに、そんなことできるわけないですよ」、と。

 しかし個人的に、実践を促すような条件がいくつか調い、案外初手からうまくやれることになる。一つはランニングの効果が出ていなかったこと。以前フルマラソンを走っていたことがあって、数年ぶりに再挑戦を始めたはよいものの、走るわりに体重は減らないし、重いままだと走ることがいつまでも苦行だった。だから体重を減らすことそれ自体よりも、少しでも楽に走るために、という方に目的が寄っていたので、一つの新しい方法として、と手が伸びた。

 また、たまたま朝1食、朝昼2食抜かざるを得ないような機会が開始期の少し前にあった。これによってゆるやかに月曜の不食に移行できたのではないかと思う。

 体重が相当ある人、普段から過食傾向にある人は、最初から自己流や言い訳をせず、この不食日をどうにか頑張って過ごしてほしい。大デブの場合これまでの流れがブツっと断たれるので、初回はこれだけでも案外成果が出る。そして腹が心持ちすっきりした感じを覚える。

 ただし公式の情報にあるとおり、これ自体で痩せる、というわけではない。実際、何週か続けるうちに、不食日明けに体重を測ったところで、大した減はない。サイクルの中にこういう日がある、ということ自体が大切なのだと思う。なぜ大切なのかは略。

 

② 火~金の糖質オフの生活

 火~金は基本的に糖質オフの生活。具体的な食事の目安は公式の情報を参照のこと。結局のところ、巷間にあふれる糖質制限の類と同じく、糖質を摂らない、食事量を相対的に抑え目にするという、ごく基本的なことが大切なのだろうなと思う。実際、体重に変化が現れるのは、不食日明けではなく、こうした生活を過ごす週の真ん中から後半にかけてのことの方が多い。

 この生活を始めてから、職場で頼むお昼のお弁当をおかずのみにした。弁当屋さんから届けられたおかずのみの折詰めを見て、職場一同「・・・ちっちゃ(小さい)。」と唖然とした。別におかずまで減らしてもらったわけではない。しかしまるで気を遣っておかずのサイズまで落としてもらったのではないかと思うほどだった。重量的にも軽かった。ごはんは重い。これは食後の感覚的にもそうで、糖質オフの生活を続けると、週末にごはんや麺類を摂った後、腹あたりを中心とした体の重たい感じが気になるようになる。

 さて、さすがにお昼にそのサイズのおかずのみにすると従来の食事量とのギャップがひど過ぎるので、普段はこれに小ぶりのサラダと、汁物を足している。基本であるところの咀嚼してこぶし二つ分の量からはややはみ出ているだろう。しっかり結果を出したい人は、こうした例外をなくした方がよいと思う。しかし大デブで体重が減り始めの頃は、これでも充分体重の減少は続く。

 朝夕も同様で、やはりきちんと結果を出したければマイ・ヴァージョンや例外をつくらないに越したことはない。実際、最近体重の減りが個人的に少ないのは、単に停滞期というだけではなく、例外が増えてきたからだと思う。しかし基本を頭の隅に置き続けると、自分が例外に踏み込んでいる実感はあるし、体重をまめに測れば、その例外がどれくらいの影響を及ぼすのかがよくわかる。少なくともはじめの一ヶ月あたりは基本に忠実に、以降は継続に最適な方法を模索するのが吉なのではないかと個人的には思う。

 

③ いわゆる美食の日

 土日は食事の内容を制限せず、量だけ目安を守る美食の日。大デブの感覚からすると、ウィークデーの節制の反動でドカ食いをしそうなものだが、これは案外ない。宴席だけは唯一自分のペースを見失ってしまいがちな時だが、そうでなければ度を越すことはない。これには理由がいくつかある。

・せっかく痩せているのに、土日で過食してそれを台無しにしたくない

・日ごろの糖質制限が習慣化して、積極的に糖質を欲しない

・糖質をはじめ、ものをたくさん体に入れると、体が重く感じるようになっている

・月曜の不食で収支をちゃらにするのではなく、土日に収入を抑えたいと思えるようになる

 

 と、こんな風に、①~③のサイクルの中で、それぞれの取組が相互に関連し合って、やがて以前に比べると良好な習慣が形成されていく。これが月曜断食の一番よいところかと思う。相対的にストレスが少ないのも、続けられる要因の一つでもあるだろう。

 

コーヒー

お題「コーヒー」

 

f:id:pampf:20190210185128j:plain

 

 自分にとって、コーヒーを日常的に飲むようになったのはそれほど昔ではない。少なくとも学生時代に繁く喫茶店に通っていたようなことはなかったし、就職してしばらくもコーヒーをよく飲んでいたような記憶はない。20代の終わり頃から常飲が始まり、やがて不必要に凝り、果てに今のスタイルに落ち着いて行った。

 自分でいれて飲むようになった始めの頃は確かスターバックスの豆を使っていた。それから雑誌のコーヒー特集などで神戸のグリーンズコーヒーロースターや、鹿児島のヴォアラを知り、それらの店の豆を試すなどするようになる。職場用にドリップバッグをまとめて注文していたこともあったっけ。

 あわせていれ方や器具にもこだわるようになる。プレスを使っていれていた時期もあった。しかしあれは基本的に、時間と心にゆとりがある人がとるスタイルだろうと思う。いれて4分程度待つこと、片付けがいくぶん煩雑なことを思えば、忙しない生活には向かない。

 お店もあちこち行くようになった。何軒か行って到達した結論は、自分にはいわゆるサードウェーブと括られるような、豆の本来の風味を存分に生かさんがために浅く煎ったような類のコーヒーはあまり合わないということだった。それを否定するというのではなく、単純に好みの問題として、である。熊本には第3の波どころか波が立つ以前から営まれているアローという喫茶店がある。そこもまた煎りは浅く、ある程度しっかりとローストされたような豆は、店主から「焦げくさい」と詰られる。若い頃どんな店か知らず一度だけ入ったことがあるが、ひどく居心地が悪かったのと、コーヒーを飲んだ気がしなかったのをよく覚えている。これが本来のコーヒーだ、と主張する店主とそれを受け入れる熱心なファンには申し訳ないが、あれは己にとってのコーヒーではない。

 もちろん慣れというのもあって、以前に比べれば中くらい~浅めの煎りのコーヒーも楽しめるようにはなってきた。しかしその時は、「さあそういうものをこれから飲むんだ」という構えがないと、時々物足りない思いをすることがある。

 自分に合うコーヒーは、例えばバリスタとかいう呼称や、外での研鑽などとは縁がないかもしれないが、自分の店で工夫を重ねながら丁寧にコーヒーをいれてきたような昔ながらの喫茶店で出される、「ストロング」などとメニューに記載されている類のコーヒーだろうと思う。あるいは然るべき資格や受賞歴はあっても、焙煎のヴァリエーションが柔軟かつ豊かで、ラテアートなんてものと無縁そうなお店で出されるコーヒー。・・・表現に多分に悪意がこもっているような感じもするが、まあ好き好きだから。

 あれこれ書きながら、結局のところ飲食については最終的にはプロに任せるというところがあって、プロ顔負けになる気もなければ、なれる気もしない。コーヒーについても同様である。慣れ親しんできた結果、いくつかの産地の特長みたいなものも頭には入ってきた。入れ方のコツも、豆の取り扱い方も少しはわかる。しかしそこまでである。例えば豆は、どこそこのでなければダメだ、とは思わない。カルディの基本ラインで充分すぎるくらいだ。豆は家でも挽けるが、面倒だから少量を挽いてもらうことが多い。いれる時はペーパードリップでいれる。ハリオのV60にフィルターをセットして、細口のケトルでゆっくりと蒸らしながらいれる。フィルターは先にほんの少し湯とおしして、油分が無駄にフィルターに吸い取られないようにする。これは以前行ったコーヒー店の兄ちゃんがやっていたのを真似ている。とまあ、ここまでだ。プレスを使うことはないだろうし、ネルドリップを衛生的に使い続ける自信はない。自分で豆を選り分けて、焙煎するなんてまさかそんなこともしない。自分の生活の丈にあった程度で満足している。

 ただし一方で、良い店と自宅の往還の中で、納得の行くマイ・ヴァージョンを目指すことを続けていくだろうとは思う。自分の生活を経済的、時間的に苦しめない程度の、持続可能な形での究極。それは料理や飲酒についてもそうだし、そのお伴となる音楽の聴取環境や家具調度についてもそうである。最高のもの、稀少なものはお店に任す。でも自分の中でひそかににっこりできるようなものは追求し続けたい。

 

 自分の中でのコーヒーは、およそそういった類のものの一つである。

グラミチ兄さん

f:id:pampf:20190120095705j:plain

 

 画像は借り物です。

 仕事用のパンツ、というのを長らく探していました。当方身長174cm、体重100kg超のデブ。さらに学生時代にソフトテニスをしており、前掲姿勢の賜物か、腿が平均よりも大きく発達しています。となれば、まずそのへんにぶらさがっているパンツ自体なかなか合わない。

 加えて、仕事柄立ちしゃがみの機会も多く、あちこち小走りで駆けるような機会もしばしば。もしこれが立ち仕事、デスクワーク等に限られた動きなら、それは痩せ我慢(痩せてないし痩せもしないけど)でもしてタイトなものでも穿いておけばよいという話です。しかし私の場合そうはいかない。かといってゆとりを優先すればかなり太目のシルエットになり、かなりだらしないなりになる。ジャケットと合わせるのも難しくなります。

 以前試してみたのはユニクロのジョガーパンツ。これはウエストゴムで素材も柔らかく、ぼちぼちテーパードのシルエットなのですが、いかんせん裾が絞られていて、フォーマルの方から遠ざかってしまいます。そして体型がスリムな人がジャストサイズで穿けば小粋に決まるのですが、足の長くないデブが穿けば完全にもんぺです。加えて耐久性にもやや難。

 最近わりにいいと思うのは同じくユニクロのEzyアンクルパンツ。これはジョガーパンツの穿き心地とコンセプトをベースによりすっきりとしたシルエットになっていて、小奇麗にまとまります。ジャケットと合わせてもかちっと決まります。

 これをある留保をつけながらさらに上回ると個人的に思うのは、グラミチのNNパンツ、特に画像で貼っているヘザーグレイです。これはかなり理想に近く、まずシルエットが従来のモデルより細めですっきりしているのが素晴らしい。もちろんデブだとXLサイズを穿くので相対的に幅は広めにはなりますが、それでもわりとスタイリッシュにまとまります。靴を濃い目の色の、どっしりとしたなりのものにすればバランスが取れます。

 ウエストは定番のウェビングベルトで、サイズ調整はとてもしやすいです。ただしこれがビジネスで穿く際の難点で、ベルトループがないためベルトが通せません。後述のガゼットクロッチ等グラミチのよいところを踏襲して、ベルトループがあるモデルが出れば、と個人的には思うのですが、友人に言わせれば、このウェビングベルトが、機能的にも、見た目的にもグラミチらしさなんじゃないかということです。確かに思い切りカジュアルな格好のときは、写真のようにベルトを垂らしますよね。ただ、やはりこれだとシャツのみの時には明らかにダサい(体型にもよりますが)し、NGでもあります。従って、まあどこまでいってもフォーマル対応は無理なので、いわゆるビズカジみたいなのが認められている職場でのみ活躍するものにはなると思います。暑い時期にはシャツインしないポロと合わせて、秋冬はベストやセーターで腰周りを隠して、と、そういった工夫があればよいかと。

 穿き心地については、これはもう素晴らしいの一言。スリムなシルエットといっても、かなりタイト目を狙わない限りはゆとりはありますし、なんといっても定番のガゼットクロッチが、身動きする際のストレスをほぼなくしてくれます。がんがん動いても、そして洗っても大丈夫なタフなつくりは、服のケアに細かな気を遣えない私のような人間にはとても有難いものです。

 価格は購入する場所にもよりますが、1万円と少し。オンオフ問わず長く使えることを思えばコストパフォーマンスは上等です。余裕があれば、他ブランドとのコラボモデルも豊富なので、デザイン、色の違いで2~3本持っていてもいいと思います。

教材として見る大学入試過去問題(国語)

f:id:pampf:20180311174521j:plain

 

 はじめにお断りしておくこと。

 今回ピックアップするのは、主として大学入試センターテスト後に勤務校で実施した二次対策指導で使用した問題についての感想である。担当講座は地元国立大学(対外模試の全国偏差値でいえば50台後半から60前後)受験者向け。

 また、筆者が勤務している学校は九州にある。生徒は比較的地元志向が強く、国公立大受験についていえば大半は九州内、せいぜい西日本までで留まる。

 以上のような環境から語るため、当然偏りがある。旧帝大受験、全国有名私大について関心のある向きは特に何の参考にもならないので予めお断りしておく。

 それから、概評なので、とにかく評がぼんやりしている(笑)

 

九州大学

 本文を丹念に読んで、設問条件に沿って解答をつくる、という基本的な読解力・記述力をつけるには適した教材となる。3年次に文系の中位以上の生徒を相手に、時間の制限をゆるくして取り組ませると教育的。他方、下位層にはつらい問題になるため、下位層を含む教室での使用には工夫が必要となる。

 教材としてではなく受験という場面で見た場合、制限時間に対して解答すべき分量が多く、受験者にとってはなかなか苦しい問題。高度な思考力・表現力というよりは、高い処理能力、妥当な思考力・表現力をこそ求めているといえる。2018年度入試では現代文で漢字の問題がすべて削られたが、これが今度どうなるのか、意図は何かは現段階では不明。

 

広島大学

 特段難問ということはない。現代文は一貫して素材文は硬派ではあるが、読み・解き慣れていれば設問条件自体は詳しいので難しくは感じないと思われる。古典については直近では複数の素材文を参照して解くといった、ある面新テストとの関連性もうかがわせる傾向が散見される。広島大学は高大接続改革のうち、理数分野で推進委託を受けており、国語はそこからは外れているが、大学全体として何らかの志はあるのかもしれない(教育学部も西日本の名門といった風情があるし)。

 

岡山大学

 いわゆる評・小・古・漢という国語オールジャンルの構成で、教材として取り上げやすい。評論は他分野と比べて簡単すぎることがしばしばあるため、低学年時の教材として用いるとよい。テキストをよく読み、傍線付近の該当箇所を拾って答案をつくるというという初歩の作業の練習になる。小説は素材文は親しみやすいこともある(重松清など)が、小説という必ずしも論理立った展開のないものを論理的に解くということについて、わりと研究された良問が多い。古典については広大と同様の傾向がある。評論は置いて、後の三題については同難度付近の国立大学対策として充分適している。

 

熊本大学

 現代文がいわゆる偏差値ランクからかけ離れて難度が高いことでエリア内の同業者にはまずまず有名。ただし近年は設問条件も増え、いくらか答えやすくなっている。また、80字前後の記述や抜き出し、記号等、取り組みやすい問題も導入されつつある。以前の問題に親しんできた者からすれば「日和った」とみなされても仕方ない。

 2018年度入試は上記の傾向が顕著に出て、例年に比べて易しかった。ただし、0点答案は出にくいが、他方満点の答案を書くには高いハードルがあり、本文全体に目配りして、解答の条件を自分で見定めるという点では依然としてハイレベルの問題といえる。九州大学と違い、こちらは古典とあわせても充分な解答時間があり、受験者はじっくり取り組むことができる。国公立大学の二次試験の問題にはそうあってほしいところ。

 古典の問題は、数年に一度読解力、思考力を問う問題は出るが、根本的には基礎基本の理解により対応できる問題。出典についての出題者の目配りも甘く、同一エリアの他大学で過去数年に出題されたもの、問題集でわりと定番の出典等がある。以上の点において、低学年の生徒に「今やっていることが(余得も含めて)大切」ということを知らしめるのに適している。センターテストと違って人物関係が複雑で読み取りにくい類の古文もあまり出題されない。どちらかといえば、ざっと内容をつかむことは易しいが、設問に答える際に注意を要するような問題が多く、今後もその傾向は続きそうである。

 

 

 以下、上記以外の顔ぶれから、項目毎に短評。

 

〇学力上位層の鼻をへし折るのに適した問題

 ・京都大学(全般)

 ・東北大学(古典)

 ・神戸大学(古典。ただし年度による。)

 

〇地方国立大~旧帝大の学力層を相手に、力を伸ばすのに適した「教育的」な問題

 ・筑波大(全般。特に小説。)

 ・千葉大(全般。現代文はユニークな問題もあり。)

 ・金沢大(全般)

 ・新潟大(現代文)

 ・名古屋大(全般。特に古典は地方国立大の上位互換の感あり。)

 ・大阪市立大(現代文。古典は基礎力養成寄り。)

 ・神戸大(現代文)

 

〇基礎固めをしていくのに適した問題

 ・信州大(ジャンルも揃っており、地味に手堅く解くことの大事さが実感できる)

 

〇新テストに関連した問題

 岩手大学の現代文の一部(第4問)。これについては近年に限らず、高大接続改革が本格的に話題になる以前からの取組。イメージとしてはいくつかの大学で実施されている小論文や総合問題の一部のような感じ。それを国語という教科の枠内で問うている。複数の資料をもとに、設問の条件に従ってまとまりのある記述をする問題。しかし解答の方向性は明確になっており、恐らく採点、評価ともにあまりぶれは生じないという、文科省が新テストで実現したがっている類の問題が出題されている。その意味において、他大学国語の入試対策練習題としては向かない(独自性が強いため)が、今後の国語の授業、テストづくりについての参考にはなる。

 

本あれこれ

f:id:pampf:20180122051148j:image

 

 汽水社で買った本。

 

 

 最近の読書。アナーキー『痛みの作文』を読了。この感想はそのうち。それから、ふとしたきっかけで谷崎潤一郎の『春琴抄』を再読した。

 現在手をつけているのは、川田順造無文字社会の歴史』と、杉作J太郎杉作J太郎が考えたこと』あたり。

センターテスト2018 国語の概評まとめ

 まず、会場で生徒の問題を借りてざっと見た時点での拙評を以下に。

 

 センターテスト 国語、ざっと見の短評。

 やはりというか、やんわり新テストへの橋渡しを試みている模様。ただし大した変更ではない。評論で本文に関連する図を示して、生徒5人に話し合わせ、その議論を縮約したものとして妥当なものを選ぶ、という問題があった。あー、はいはい(せせら笑い)、という感じ。従来型の読解力で対応は可能かと。

 古文では宣長の説を問答形式で展開した歌論を、やや理知的に読む感じ。和歌における「情」と「欲」の在り方とその関係についてだった。いわゆる解釈や心情理解ではなく、古文の読解力をベースにして評論を解く感じ。要約、整理する力が問われるという点では、広義に解釈して「思考・判断」を問うといってもいいのかも。

 近年徐々に進行しているそのあたりのマイナーチェンジに受験生が惑わされていなければ、難易度は標準か、評価によってはやや易。平均は110点台半ばといったところではないか。去年が一昨年から揺り戻しすぎて「難化」だったので、標準に戻しにくるだろうという、ベタな予想のとおりになるのではと思われますです。

 

 次に、各予備校・業者による概評。

 

◯データネット

第1問「現代文・評論」 (50点・標準)  有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ―集合的達成の心理学』による

環境を文化的に「デザイン」し「現実」の意味を変化させ続ける存在としての人間を論じた文章。文体は平易だが、筆者独自の概念や言葉の用法を、叙述に沿ってきちんと読み取れるかどうかがポイントであった。問3で文中の「図」(写真)についての生徒たちの対話の形をとった設問が出題されたのが目を引く。学習指導要領の「言語活動の充実」や、大学入学共通テストで求められる力を意識した出題だと思われる。
第2問「現代文・小説」 (50点・標準)  井上荒野「キュウリいろいろ」

現代の女性作家の文章。短編の全文ではなく、原典の一節からの出題だった。三十五年前に息子を亡くした主人公郁子が、夫の新盆を迎えた時の出来事を描いている。問1は語義の設問。問2~問5は場面の展開に即して主人公の心情を問うもの。いずれの問いも傍線が施されており、昨年のような傍線部のない設問設定はなかった。問6は表現に関する設問。ほぼ例年通りの出題で、本文全体への目配りが求められていた。
第3問「古文」 (50点・やや難)  『石上私淑言』

江戸時代中期の歌論書『石上私淑言』からの出題。歌論の出題は、2009年度追試以来。本文には難しい言葉はないが、内容をまとめながら、論点を整理する力が求められた。問3~問6は、各段落の内容をまとめる問題、全体をまとめる問題からなり、選択肢の違いを理解するのが難しい。和歌を話題とする問題文だが、本文中に和歌はなかった。
第4問「漢文」 (50点・やや難)  李■(とう)『続資治通鑑長編』による (■は壽に「れっか」)

史伝からの出題は2011年度追試以来。ただし内容は、問答によって出処進退と君臣関係のあり方を述べるもので、実質的には最近頻出する論説的な文章である。問1・問2は文脈における文字の意味についての設問で、例年通り。問3・問4は傍線部に同形のくり返しが含まれ、問5は「今」を挟んだ対比的な表現が問われるなど、文章の論理構造を問う近年の傾向を踏襲した出題であった。

 

◯東進

【第1問】有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ-集合的達成の心理学』→やや易化
問1の漢字は、(ア)の「意匠」がやや難しいが、ほかは基本的な問題。問2は、前後を読解すればわかる基本問題。問3は新傾向の問題。問題文に関する図についての4人の生徒の対話が交わされる中、空欄に正しいものを入れる設問が出題された。問4、問5はいずれも3行にわたる選択肢の問題だが、本文ときちんと照らし合わせれば正解できる標準レベルの問題。問6は文章の表現と構成を問う問題。(ⅰ)が適当でないものを1つ選ぶ問題、(ⅱ)が適当なものを選ぶ問題なので、注意が必要である。

【第2問】井上荒野「キュウリいろいろ」→昨年並み
問1の語句の問題は、辞書的な意味で対処できる。「枷が外れる」はやや難だが、本文の内容に即していけば解ける。問2~問4は標準的な理由説明・心情説明問題だが、かなり間違いやすい選択肢になっている。問5は3行選択肢の理由説明問題で、やや難。問6は昨年と同様、表現に関する問題だが選択肢に指摘された箇所を探すのに時間がかかり、やや難。

【第3問】本居宣長『石上私淑言』→やや易化
問1は例年通り部分訳の問題。(ア)は前後の文意も考える必要が少しあるが、(イ)(ウ)はほぼ単語の知識で解ける。問2の文法問題は新形式の問い方で、傍線部に関する文法説明のうち不適当なものを選ぶ問題。助詞が関わる問題は2016年の「の」の用法を問う問題があったが、それ以前の出題にはほぼ見られない新しい傾向と言える。問3は、「問ひて云はく」に対する答である「答へて云はく」の後半「恋はよろづの……」に注目して選択肢と照合する。問4は、「答へて云はく」の最初の5行に注目して選択肢と照合する。問5は傍線部がないが、注目すべき箇所が「さはあれども」から始まる段落と分かれば正解は得られる。問6も傍線部はないが、例年のような本文全体を見わたす合致問題ではなく、本文1枚目(30ページ)最終行の「色を思ふも本は……」と、最終段落の内容を選択肢と照合して解く問題であった。

【第4問】李とう『続資治通鑑長編』→やや易化
問題文は187字で、ほぼ平年並み。設問数が昨年度から6に戻っている。マーク数も昨年同様8であった。本文は注も多く比較的読みやすいものであった。問1は漢字の読み方ではなく、「議」「沢」の意味の組合せ問題。問2は昨年同様短い傍線部の解釈の問題。問3は、返り点と書き下し文ではなく、書き下し文と解釈の組合せ問題であった。問4は2ヶ所の名詞と述語の主体の組合せ問題。問5は理由説明、問6は内容説明問題で、概ね例年の傾向の範囲であった。

 

河合塾

現代文(評論)の本文で図が付され、空欄補充という新傾向の問題が出題された。
現代文は易しくなったが、古文は難化し、国語全体としては昨年並み。

<現代文>第1問(評論)は、さまざまな具体例を挙げながら、現実をデザインするという人間の本質について論じた文章が出題された。文章には、2つの図(写真)がついており、また問3ではその図に関連して、生徒の話し合いが紹介され、そのうちのひとりの発言が空欄補充問題となっているという、これまでにない設問になっている。第2問(小説)は、現代の女性作家による短編小説の一節から出題された。昨年・一昨年は古い時代の小説からの出題だったが、それに比べればかなり読みやすい文章である。
<古文>問答体で書かれた歌論であった。
<漢文>昨年度は日本漢文が出題されたが、中国の文章からの出題に戻った。語の読みの問題は出題されなかった。
難易度 昨年並み
<現代文>第1問(評論)は、昨年より400字あまり長くなっているが、全体としては読みやすく易しくなった。第2問(小説)は、傍線部前後の内容を根拠にして作られたと思われる設問が多く、全体として易しくなった。ただし問3・問5では、誤りである根拠がさほど明確ではない選択肢がある。
<古文>本文は歌論ということもあって、昨年の『木草物語』よりも解きにくい。特に問4・6は内容についての説明問題であるが、筆者の主張を正確に把握して、正解の根拠を見極めるのが難しい。
<漢文>内容はやや抽象度が高かったが、本文・設問とも難易度に変化はなく、昨年並みと言える。

出題分量
第1問(評論)は、昨年より400字あまり長くなっており、これまでのセンター試験で最も長いものであった。第2問(小説)は、本文量は約4750字で、昨年とほぼ同じ、設問数も昨年と同じであり、選択肢の長さもさほど変わってはいない。第3問(古文)は、本文量が1300字ほどで、昨年より約150字減少した。第4問(漢文)は、本文が187字で11字減少、設問数・マーク数とも昨年と同じであった。

出題傾向分析
<現代文>第1問(評論)は、昨年は科学論が出題されたが、今年は「文化心理学」を論じた文章が出題された。本文に図が付されており、また設問でも生徒の話し合いが紹介され、空欄補充問題が出題されるなど、入試改革の方向性を踏まえた出題もみられた。第2問(小説)は、現代の女性作家による短編小説の一節から出題された。昨年、一昨年の問題に比べると本文は読みやすく、設問もあっさりしたものになった。ただし、この傾向が今後も続くとは限らないであろう。
<古文>近世の国学者である本居宣長の歌論『石上私淑言』からの出題であった。本試験での歌論の出題は2001年度以来である。この作品は、和歌とはどのようなものかについて問答体の形式で述べたものだが、本文は、恋の歌が多いことについて、「情」と「欲」という語を使いながら、歌は「情」から生まれるものだからだと結論づけた内容である。特に難しい表現はないが、正確な読解が求められた。昨年は本文に和歌があり設問にもなっていたが、今年は和歌が本文にも設問にもなかった。
<漢文>南宋の李●(とう)の歴史書から出題された。北宋の政治家寇準の宰相就任について、王嘉祐の示した政治的な見識の高さを論じた逸話であった。テーマは漢文としてオーソドックスなものであったが、やや抽象度が高い内容であり、選択肢の正誤判断が難しい問題もあった。設問は、語の意味、書き下し文、解釈、内容説明、理由説明など標準的な出題であったが、語の読みは出題されなかった。 また、書き下し文の問題では、原文に返り点をつけた選択肢は提示されなかった。問5・問6は、本文の記述と照らして、選択肢をしっかり検討する必要がある。

 

 私見では、河合が国語全体の難度をやや見誤っているのではないかと思われる。「昨年並」ということはなかろう。古文は「やや難」とする評が目立つが、そうは感じない。たしかに歌論の出題は久々ではあるものの、さすがに授業、問題演習等で馴染みはあるはず。そして、評論を読解するだけの論理性があれば、求められる知識ハードル自体は高くない方なので、どちらかといえばやや易なのではないかと見ている。和歌解釈や,敬語を含んだ人物関係理解、主語把握を要求される問題よりはましだろう。その点で、古文評は東進が妥当ではないか。

 なお、新テストとの連関の文脈で論じているのは今のところデータネットのみか。他の予備校は新傾向とのみ述べ、それが何に起因するかということにまで言及はない。全体概観の妥当性、大局的な視点等を合わせれば、今年はデータネットが評としては最もまともなのではないかと考える。

 

 平均点の予想は、現時点ではおそらく116点前後といったところ。はて蓋を開けてどうなりますやら。